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交通事故に遭ってしまった。
その瞬間名もない運転手は加害者になり、 名もない自転車乗りは被害者になった。 信号のない十字路を横断したその瞬間、車体はペダルを目掛けて激突し、 自転車の前輪は車の下敷きになった。 ハンドルから地面に着地したのが不幸中の幸いで、 体がアスファルトに吸いつけられることはなかった。 僕は大丈夫だといったのだが、警察を呼んでほしいと運転手が言うもんだから 「番号は何番ですか?」という大ボケをかましてしまった。 生まれて初めて110番したかもしれない。 15歳のときにコンビニでエンジェル伝説を立ち読みしていたら 車がガラスを突き破って雑誌コーナーごと吹っ飛ばされたことがあり、 違う意味でエンジェルになりかけたことがあったが、 そのときは自ずとパトカーが来た。。 5分か10分したあとお巡りさんは2人バイクに乗って来てくれた。 この待っている時間は長く、雨も降り始め、 道端で立ち尽くす二人を一層冷たい空気にさせた。 「失礼ですが年はお幾つですか?」 僕の顔は30代半ばにも見え20代半ばにも見える顔らしく それによって対応が違うのか お巡りさんを一瞬と惑わせたのかもしれない。 「29です」と言って、健康保険証と有効期限の切れたパスポートを見せた。 怪我の具合から大丈夫ですと言ったのだが、 救急車を呼びましょうと話になった。 普通に病院に行くと普通の扱いをされて順番待ちになるらしく 事故ということで救急車で運ばれると急患で優先的に診てくれるらしく 僕はそれに従った。 熱と血圧を計りつつ救急車は移動し とは言え、約10mだけ運ばれてすぐそこの外科病院で降ろされた。 普段だったらこの距離感の滑稽さに笑いがこみ上げてくるはずだったが 救急車に運ばれているという現実がまともに受け入れられていなく 全然笑えなかった。 この真っ赤なサイレンの光る白い車に乗るのはいつ以来だろうか 少なくとも自分が運ばれるのは、記憶にない。 22歳のときにドンキホーテで購入し、 今となっては誰が見ても驚くオンボロ自転車は 主の身代わりにぺちゃんこになるという使命を遂げて 永い眠りについた。 怪我。 それは、運命なのか、またしても右足に擦り傷をつけた。 検査の結果はとりあえずなんともないということになったが 真っ白な包帯を巻かれることになった。 去年の秋に蜂窩織炎的な病気を患い 巻き爪手術を施したこの右足は どうやら包帯に巻かれるのが好きみたいだ。 #
by orion_oyamada
| 2012-04-12 00:21
| ただの日記
3月11日
あれから1年が経つ。 たまたま林野庁のビルの7階にいて必死で柱に掴まって 急いで1階に降りて、でも全然電話がつながらなくて、 日比谷通りを歩いて、電車も動いてなくて、 翌日自宅に帰って 2日後にふじみ野駅の前で募金活動をして それから埼玉NPOハウスで救援物資を集めて 現地に移送して 停電が起きて 夜も真っ暗で、警察の方が深夜も交通整理をしていて、 4月に東日本大震災復興NPO支援・全国プロジェクトができ 事務局を担当し、 6月に母親の実家の宮城へ行き、 初めて被災の状況を目の当たりにした。 親戚のほとんどは東北で暮らしていて、なのにあんまり地名とか知らずにいて、今回の震災で色んな街の名前や風景を知ることができた。原子力発電所って、福島のしかもあんな海側にあったんだって知らなかったし、津波って怖いって映像や現地の方の話でものすごく感じた。 8月にITボランティアで岩手県の大船渡に行ったけど、 すごく期間も短くて、やってきたこともそんなにたいしたことはできなかった。 瓦礫の撤去とか泥かきとかしてないし、 なんか申し訳ないなって想いが強かった。 でも少なからず、ボランティアとか復興の活動を続けてきたのは 震災発生してから間もなく、 チャリティイベントとかやっていた××どもに対する 怒りとかそういう不謹慎な人たちへの反発でもあった。 誤解がないように言いたいけれど、この震災のおかげで色んな人との出会いがあったし、 再会もあった。成長したなんて言えないけれど、少しだけ自分の考え方の幅を広げてくれるきっかけを作ってくれた気がします、色んなひとが。。。 1月29日の福島公演、石垣りんの「表札」という詩に曲をつけて歌うという試練。 現地の方の声が本当に良かった。 「あなたの歌に感動しました」と言われて 僕も勇気付けられました。 そして今日、千年画廊という場所で、黙祷をしつつ、イベントにソロで出演してきました。 写真2枚目はこの日にちなんで311円のメニュー。福島のやさいを使っている。 写真3枚目は「伯楽星」という日本酒。1杯400円。震災発生後、宮城県大崎市に蔵がある酒造店は6度傾き、酒蔵を潰してなんとか再開を遂げたのだという。 #
by orion_oyamada
| 2012-03-11 23:51
| 東日本大震災
昨日の振り返りから、
陸前高田のオートキャンプ場モビリアでは、朝、印刷ができないという事態が起きたらしい。 原因は、インクジェットが気温の低さにより凍結してしまったということだそうだ。 部屋が温まってくると、稼動し始めたが、パッケージには常温で使用してほしいみたいなことが書いてあって、岩手の方からしてみたら、「これが常温だ!」っていう話である。 われわれボランティアが仮設住宅の地区に足を踏み入れて住民の方とすれ違うときは、「おじゃましてます」と一声かけると、にっこりわらって「こんにちは」とお返事してくれる。 挨拶をするのは当たり前であるが、何か新鮮である。 パソコン教室という名前で集会所にパソコンを置いていて、現地の住民の方が来てくれるのだが、結構集まり、ボランティアの方々は休憩する間もなくIT支援をしているのである。(少し休みながらやらないとね。。。) パソコンも初心者の方が多く学生のボランティアの方々も熱心にIT支援をしている。 車で移動していると、太平洋セメントの大船渡工場の横を通った。 この辺りの瓦礫のほとんどはここで燃やして処分しているらしい。 行政ではなく、民間で瓦礫の処理をしてる例は少ない。 ただ、海水をかぶった瓦礫なので、セメントの材料の再利用とまでは難しいらしい。 #
by orion_oyamada
| 2012-02-28 11:16
| 東日本大震災
今日はNPO事業サポートセンター主催の第11回復興支援ITボランティアで、岩手県の大船渡市にいる。
ITボランティアは、8月の第4回以来半年ぶりの2回目。 僕が夏に伺ったときは、避難所生活から仮設住宅に移行していった時期だったので、ITのニーズが変わり、少し戸惑っていたのだが、今回はもう現地の方とのコミュニケーションもかっちりできていて、支援がすごくはまっていた気がした。 写真は陸前高田の仮設住宅があるオートキャンプ場モビリアの集会所なのだが、見てのとおり、人がいっぱい集まっている。。 先日24日(金)に霞が関ナレッジスクエアにて開催した神田織音さんの講談もインターネット中継も、陸前高田の別の場所の長洞元気村にしていて、ITでできることは広いなーと思った。 明日につづく。。。 #
by orion_oyamada
| 2012-02-27 19:31
| 東日本大震災
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by orion_oyamada
| 2012-02-27 19:07
| ライブ日和
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